2008年11月7日金曜日

恵みの成長を妨げるもの

エペソ人への手紙4章31節において、パウロはキリストの恵みにおける成長を促すために、私達が生活から取り除かなければならないものを列挙しています。「無慈悲、憤り、怒り、わめき、そしりなどすべてを、一切の悪意と一緒に捨てなさい。」

私達はパウロが並べたこれらの問題を、軽視するべきではありません。私達が恵みにおいて成長するなら、これらのことに直面しなければならないと、パウロは語っているのです。もしここでパウロの挙げている問題を無視するなら、あなたは聖霊を悲しませることになります。あなたの成長は妨げられ、あなたは霊的なゾンビとなってしまうでしょう。

パウロが挙げた最初の3つ、無慈悲、憤り、怒りは、理解し易いと思います。無慈悲とは、過去の傷を手放そうとしなかったり、過去の過ちを許さなかったりすることです。憤りとは、激しい怒りと共に、復讐を望むことです。怒りとは激高、すなわち瞬間的な憤激や、誰かに向かってじわじわと憤りを燃やすことです。悪意とは、破壊的な言葉を発すること、すなわち誰かを立て上げる言葉を発することと正反対のことです。悪意を持って語る言葉とは、敵意に満ち、誰かを傷つける言葉のことです。

わめきとは何にも無いことに対して、突然爆発すること、すなわち必要のない大騒ぎをし、無意味に大きな雑音を立てることです。些細なことを取り上げて大きな問題としたり、癒しや平和をもたらす代わりに修羅場を作り出したりすることで、私達はわめきます。

パウロのリストの最後はそしりです。そしりとは、誰かが苦しむことを望むことです。多くのクリスチャンにとって、そしりとは、自分を苦しめた人を神様が懲らしめられるのを望むことです。それは非道な霊であり、大抵心の奥底にしまい込まれています。

パウロが「これらを一切の悪意と一緒に捨てなさい」と言ったのは、即席の解決について語っているのではありません。彼は長い時を要する、成長過程について説明しているのです。時に私達は、これらの悪意をコントロールすることに失敗するかも知れません。しかし私達がすぐに悔い改め、その人との関係の修復に徹するなら、これらの問題は時が経つにつれて消え去っていきます。