2009年3月30日月曜日

蛇使い

あなたはイエス様が前もって忠告された蛇に出会う危険を甘受する事無しではキリストにある働きを効果的に出来ません。

私は、聖書は悪しき者達は毒蛇のようですから私達は蛇使いなるべきと言っています。聖書がサタンを「年を経た蛇」(黙示録12:9)と呼んでいるのは意味があります。また、イエス様も約束した言葉にも「... へびをつかむであろう」(マルコ16:18)と記しています。

イエス様は仰いました。「道やかきねのあたりに出て行って、この家がいっぱいになるように、人々を無理やりにひっぱってきなさい」(ルカ14:23) しかし、伝道の書では私達に戒めています。「石がきをこわす者は、へびにかまれる。」(10:8) 垣根は蛇がうようよしていますが、しかし、人を獲る漁師の私たちに「その子が魚を求めるのに、魚の代りにへびを与えるだろうか。」とも神は言っています。


人の魂を得る人達は約束されています。「へびをつかむであろう。また、毒を飲んでも、決して害を受けない。...」 (マルコ16:18) この言葉は一意的には宣教師や信仰者の毒に関わる偶発の事故のことを言っていますが、それ以上に重要な意味が隠されています。クリスチャンはキリストの血-命、神の愛、麗しいの川-を飲みますが、同時に私達が福音を語る為に出て行くならば、この世の毒も心ならずとも飲むことになります。

私達がこの世の魂を吸収するなら、私達は私達の霊性において致命的なもの(毒)を取ってしまいます。聖霊の御加護が無ければクリスチャンが罪人の処に出かけ致命的なものをとってしまうとの事です。あなたの霊にこれらの恐ろしいものを摂ってしまうのです。しかし、もしキリストの力にあって蛇達を追払う際にこれの劇薬を飲んだなら、その毒はあなたに効きません。主が、私にそんなことが起きていると示した時、私は祈り、聖霊の息吹が私の体に注がれるようにします。そうしましたら、その毒は私から流れ出されて、私は清らかに、純粋であること-病まず-ができます。