2008年12月23日火曜日

神様の愛

最近になって私は、聖霊により揺り動かされ、この聖句へと導かれました。「しかし、愛する人たち、あなたがたは最も聖なる信仰をよりどころとして生活しなさい。聖霊の導きの下に祈りなさい。神の愛によって自分を守り、永遠の命へ導いてくださる、わたしたちの主イエス・キリストの憐れみを待ち望みなさい。」(ユダによる手紙20〜21)この箇所を読みながら、私は御霊がこう囁かれるのを聞きました。「ディビッド、あなたはわたしの完全なる喜びと愛を、まだ経験していない。神学的にはよく理解しているが、その快感とわたしの愛のうちに留まることの平安を体験していない。今まであなたが経験してきたものは、足首までのもの。しかし実際は、あなたの目の前に、自由に泳ぐことの出来る、わたしの愛の大海原が広がっているのだ」と。

聖書は、神様の愛についての真実で満ちています。しかし時折私は、神様がなぜ自分の様な者を愛されるだろうか、と思ってしまいます。決して神様の愛を疑っている訳ではありません。それは逆に私自身の問題で、神様の私に対する愛を完全に知り尽くし、信じ尽くしていないのです。

私達が神様を信じる時、神様の愛の一部が明らかにされます。もしクリスチャンに、神様の愛について何を知っているか尋ねるなら、その多くは「私のために御子を遣わし、死んでくださったことで、神様の愛が分かります」と答えるでしょう。ヨハネによる福音書の3章16節を引用するでしょう。「神は、その独り子を賜ったほどに、この世を愛してくださった。それは御子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」

この真実を噛み締める瞬間とは、本当に素晴らしいものです。あなたは突然、「神様は、私が迷子で他人としてさまよっていた時から、私を愛していてくださったのだ。そして私のために、御自身の独り子をいけにえとされたことで、私への愛を示してくださったのだ」とことを悟ります。

しかし、一握りのクリスチャンだけが、神様の愛に留まることを学びます。主に対する愛について、少しは知っていますが、神様の私達への愛を追求することをあまりしません。事実、もしクリスチャン達に「神様の愛が書かれている、聖書の箇所を教えて下さい」と尋ねても、おそらく数カ所しか思い浮かべることが出来ないでしょう。しかし、神様の愛を知ることこそ、人生に打ち勝つ秘訣なのです。多くの人は、神様の愛を知らないために、霊的に冷めきり怠惰になってしまいます。彼らは、サタンに対する最大の武器が、聖霊の解き明かしにより、神様の愛を完全に知ることだと知らないのです。

イエス様は地上での最後の祈りの中で、こう言われました。「父よ、あなたは天地創造の前からわたしを愛してくださいました。」(ヨハネによる福音書17:24)これは何と素晴らしいことでしょう。キリストは創造の前より、父によってひたすらに愛されていたのです。
そしてイエス様は、次の偉大な祈りを捧げました。「父よ、あなたが私を愛しておられたように、彼らをも愛しておられます。」(21、23節)またこの様にも祈られました。「わたしに対するあなたの愛が彼らの内にあり、わたしも彼らの内にいるように。」(26節)キリストは「父よ、あなたがわたしを愛されたように、わたしの体の内に集める者達を、あなたが愛してくださると知っています」と言っておられるのです。

ここに秘められたメッセージは、御父は永遠の昔よりイエス様を愛しておられ、私達をも同じ様に愛されたということです。事実、御父の永遠の思いの中に、考えとして人間のことが浮かんでいた頃から、主はすでに私達の詳細を知り、救いの計画を立てておられたのです。「天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。」(エペソ人への手紙1:4)

神様はどれ程長い間、あなたを愛してこられたのでしょうか。神様が存在されてからずっとです。なぜなら、神は愛だからです。愛することこそ、神様の性質なのです。神様は、あなたを罪人として愛されました。神様は、あなたが胎にいる時から愛されました。神様は、世界が生まれる前からあなたを愛されました。あなたに対する神様の愛は、始まりがありません。そしてそれには終わりもないのです。

神様はいつ、あなたを愛することを止められるでしょうか。それは神様が、御子を愛されるのを止められる時です。そしてそんなことは、絶対にあり得ません。キリストはこう語っておられます。「イエスは、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。」(ヨハネによる福音書13:1)