2008年12月3日水曜日

複製の出来ない霊性

ここニューヨーク市では、ロレックスの腕時計が15ドルで購入出来ます。ニューヨーク市民なら誰でも知っている様に、これらの腕時計は本物のロレックスではありません。それらはコピー商品、すなわち非常に安価な偽物なのです。

今日、すべてのものに対して、コピー商品が出回っている様に見受けられます。しかしたった一つ、絶対に複製出来ないものがあります。それは真の霊性です。真の霊によるものは、何一つ複製することが出来ないのです。主は御自身の作品を御存知で、人の手によって複製された神の業の偽物を、決して受け入れられません。何故でしょうか。それは真の霊性を、人の手によって複製することは不可能だからです。それは聖霊の御業によってのみ、可能なことなのです。聖霊は神の民の内で、絶え間なく新たな働きを続けています。そしてその働きを、人間の手で複製することは絶対に不可能なのです。

ここに、今日の宗教の大きな誤りがあります。ただ聖書の知識や原則を人々に授けさえすれば、その人達は霊的になると思ってしまっています。しかし真実は、誰も、どんな団体も、人々の内に霊性を生み出す力を持っていないのです。ただ聖霊だけに、その力が与えられています。

私達の内に働かれている、神様の霊の御業のほとんどは、目で見ることが出来ません。ですから真に霊的な人達は、目に見える証拠を探したりしません。パウロはこう語っています。「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。」(第二コリント人への手紙4:18)

この前後の箇所でパウロは、苦しみと困難について語っています。彼は、「聖霊以外は誰も、私達に何が起こっているのか、完全に知り得ません。そして厳しい試練の最中にある時にこそ、真の霊性が問われるのです」と言っています。

神様の霊の導きに委ねている人達、すなわち困難にあっても、それは主がその人の内で何かを生み出そうとしているのだと確信している人達は、試練のるつぼから揺るぎない信仰をもって出てきます。そして彼らは、すべてがうまくいっていた時よりも、困難にある時の方が、聖霊によって多くを学んだと、証しするのです。

私の長年に亘る主との歩みの中で、人生がうまくいっている時には、霊的な成長を見ることがあまりありませんでした。むしろ、その様な霊的成長は、聖霊が許された困難、苦痛、試練を乗り越えた時に見られました。

彼自身の信仰生活の中で、パウロはこう言いました。「聖霊ははっきりと、苦難が私を待ち受けていると告げられました。」(使徒業伝20:22〜23参照)事実、パウロの人生は、常に困難で満ちていました。困難は絶えることなく、彼の上に降り掛かったのです。

「わたしたちの一時の軽い艱難は、比べものにならないほど重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます。」(第二コリント人への手紙4:17)パウロによると、困難や苦難は私達の内に永遠の価値を生み出してくれます。彼は「地上での困難は、おそらく命がある限り続くでしょう。しかしそれも永遠と比べれば、ほんの一瞬の様なものです。そして今、困難を耐える私達の内に、神様が永遠に続く神様の栄光を明らかにしてくださっているのです」と語っています。