2010年7月12日月曜日

あなたのキリストの偉大さ

ヨハネによる福音書14章は、2つの素晴らしい約束を記しています。一つ目に、イエス様はこう宣言されています。「はっきり言っておく。わたしを信 じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。わたしが父のもとへ行くからである。わたしの名によって願うことは、何でもかな えてあげよう。」(ヨハネによる福音書14:12~14)最後の節で、イエス様は単純かつ明確に、こう言われています、「わたしの名によって願うなら、そ れを叶えてあげよう」と。

その2節後、イエス様はこう約束されています。「わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてく ださる。この方は真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。 この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに 戻って来る。」(ヨハネによる福音書14:16~18)ここでイエス様は、「わたしはあなたがたに真理の霊を授ける。そしてこの霊の力が、あなたがたの内 に留まるでしょう」と言われています。

この2つの素晴らしい約束は、イエス様がなされたものです。しかし、これら2つの間に挟まれた節を見てみて下さい。「あなたがたは、わたしを愛して いるならば、わたしの掟を守る。」(ヨハネによる福音書14:15)何故この言葉が、この場所に記されているのでしょう。キリストは私達にこう、語ってお られるのです、「従順さの問題が、これらの約束に関係しています」と。要するに、この2つの約束は、神様の御言葉を守り、それに従うことに関わっていると いうことです。私達がキリストにある力を主張するにあたって、一切障害となるものがない様、御言葉が与えられているのです。

私は、イエス様の御名によって、何も願わなかったり、小さいことしか願わなかったりすることは、イエス様に対しての侮辱にあたると確信しています。 毎年、多くのクリスチャン達が妥協してしまっています。彼らは最終的に、「救いさえあれば良い」というところに行き着いています。いつか御国にたどり着く こと以外は、何の期待も持っていないのです。

あなたに尋ねます。「あなたはキリストに対する期待の、最終段階にありますか。キリストの恵みと力によって救われること以外に、何の期待も抱いてい ないのですか。あなたのキリストは、この日を生きるのに必要な力を与えるだけでお終いですか。キリストは、サタンからの攻撃が大半の人生において、時々平 安と喜びの場所となっているだけでお終いですか。」

これらの箇所は、私にこう教えてくれています、「私のイエス様の大きさは、私の願いの大きさに比例しているのだ」と。しかし残念ながら、多くのクリ スチャンは不信仰によって、キリストを力無いものにしてしまっています。愛する皆さん、私は私のキリストを制限してしまいたくありません。そうではなく、 地獄中の悪魔達に、私の神様がいかに大きいかを、私の願いの大きさによって示してやりたいのです。私はキリストに、さらに多くを期待しています。私の人生 において、かつて無いほど、大きなキリストとなって欲しいのです。