2010年7月1日木曜日

41 日目

もし、あなたが41日目、荒野で誘惑を受けられた直後のイエス様に遭遇したら、と想像してみて下さい。その御顔は輝いているでしょう。素晴らしい勝 利を得た後ですから、喜びに満ち、御父を誉め讃えていることでしょう。

あなたは、活気と自信に満ちているイエス様を目にします。地獄の力に立ち向かう準備が整われたイエス様は、大胆に、闇に覆われた大都市に出て行きま す。福音を述べ伝え、神様の御言葉を確信していらっしゃいます。病人を癒され、御父が共にいてくださると御存知です。

一方、あなたが自分の人生に目を向けると、正反対の状況を目にします。未だに乾いた荒野での体験が続いています。サタンからの激しい攻撃に耐え、あ なたの魂は元気を失っています。「イエス様は、私が通っている様な試練は経験されなかった。イエス様はこんなことでつまずかれたりしないだろう」と思われ るかも知れません。

あなたが牧師を見ると、とても強い信仰を持った人の様に見えるかも知れません。彼の言うことは、神様の臨在を確信している様に聞こえ、あなたは「彼 は私が抱えている様な問題など、経験したことはないだろう」と思うでしょう。もしあなたが真実を見ることが出来たなら、と思います。神様が彼をミニスト リーに導き出された後、彼が荒野で厳しい試練を経験したことを、あなたは知らないでしょう。彼が自分自身を失いそうになり、落胆にくれていたことを、あな たは知らないでしょう。そして彼の素晴らしい説教が、彼自身の試練から生まれたものだということを、あなたは知らないでしょう。

パウロは、自分の義を他人の義と比較しないよう、警告しています。「わたしたちは、自己推薦する者たちと自分を同列に置いたり、比較したりしような どとは思いません。彼らは仲間どうしで評価し合い、比較し合っていますが、愚かなことです。」(第二コリント人への手紙10:12)

私達は他人の心を読むことが出来ません。41日目に、イエス様が長く厳しい試練を終えられたばかりだということを、いったい誰が知り得たでしょう か。人々が目にした栄光が、彼らの経験したことがないような困難から生まれたものだということを、いったい誰が知り得たでしょうか。

私達は、イエス様だけを見つめるべきです。そして、彼の義と聖さのみに、より頼むべきなのです。主は私達全員に、同じ権利を与えてくださっていま す。

神様は、あなたが試練にある時も、あなたを愛しておられます。神様御自身の御霊が、あなたを荒野へと導き出されたのです。しかし、御子はすでにそこ に行き、あなたが経験していることのすべてを知っておられるのです。あなたが主に完全なる信頼を置く様、神様が成されている御業の 完成を見ましょう。あなたはこの試練から、自信だけでなく、神様のもつ憐れみと、他人を助けるための力を持って、抜け出すでしょう。