2010年3月25日木曜日

十戒

アメリカ人の多くは、裁判所で十戒を啓示してはならないという、最高裁が下した評決をご存知のことでしょう。この非常に重要な決断 は、メディアによって大きく報道されました。しかしこの評決は、一体何を意味しているのでしょうか。

裁判所とは、法律が施行されるところです。十戒は、決して変わったり、揺れ動いたりすることのない、神様の道徳的な律法を表します。それは、重力の 法則と同じくらい、不変のものです。それを無視することは、高い橋の上から飛び降りようとすることと同じです。自分はその法則に縛られていない、と信じ込 んでも、それのもたらす結果から免れることは出来ません。

簡単に言うならば、十戒は社会が自滅しない様、神様がお定めになった永遠の律法なのです。しかし驚くべきことに、多くの企業が、裁判所の大理石やコ ンクリートに関わらず、十戒だけではなく神様の御名を、削り落としてしまおうと働きかけています。

これはアメリカ社会の現実を、まざまざと映し出しています。これらの不変の律法は、神様御自身の指によって、最初に石に刻み込まれたのです。そして 今、人々の作った法律により、それらは石から削り落とされているのです。

クリスチャンの中には、「何故そんなに騒ぎ立てるのですか。私達は律法に縛られていません。これのどこが問題なのですか」と言う人達もいます。確か に、私達はヘブル人の法律、すなわちユダヤ教の指導者達によって加えられた613の法律には縛られていません。しかしすべてのクリスチャンは、十戒によっ て集約された、神様の道徳的な律法による主権の下にいるのです。

私達の目の前から、これらの企業が神様の律法を消し去ろうとするのを見て、神様はどう感じておられるでしょうか。信者の中には、「十戒を飾る必要な どありません。ただ私達の心に、それが刻み込まれていれば良いのです」という人がいます。しかしそれは、神様の御言葉と異なります。十戒が神様の民に与え られた時の、はっきり目に見える神様の臨在を、思い出して下さい。

「今日わたしが命じるこれらの言葉を心に留め、(中略)家に座っているときも道を歩くときも、寝ているときも起きているときも、これを語り聞かせな さい。更に、これをしるしとして自分の手に結び、覚えとして額に付け、あなたの家の戸口の柱にも門にも書き記しなさい。」(申命記 6:6~9)