2010年3月16日火曜日

神様の究極の計画

創世記が締めくくられる前に、神様は小さく取るに足りない人々を、国々の模範として選ばれました。神様は不信仰に満ちた世界におい て、御自身の素晴らしさを表す、生ける証しとなる人々を起こされたかったのです。そしてその様な証しを示すため、神様は民が自分達の力では何も出来ないと ころを通らされました。神様は、御自身だけが命の源となり、すべての必要を満たすことが出来る荒野へと、イスラエルを導き出されました。

イスラエルの民にとって、その様な孤立した地で生き抜くことなど、自分達の手でどうにか出来ることではありませんでした。食べる物や水の入手を、自 分達でコントロールすることは出来ません。方位磁石も地図もなかったので、目的地を自分達の手で定めることも出来ませんでした。彼らはどうやって、食べた り飲んだりすることが出来たのでしょうか。どうやって、どの方向に進むべきかを決めることが出来たのでしょうか。そして、どこにたどり着くことが出来たの でしょうか。

神様がそのすべてを成されたのです。神様は、彼らの前にある闇を追い散らし、闇で光り輝く不思議な雲をもって、日毎彼らを導かれました。また、天か ら天使の食物を降らせることで食物を与え、岩から水を出すことで、水を供給されました。そうです、すべての必要は一つひとつ、神様の御手によって備えら れ、敵は彼らを打ち倒すことが出来ませんでした。

「主はあなたを訓練するために、天から御声を聞かせ、地上に大いなる御自身の火を示された。」(申命記4:36)神様の 民は、彼らを導かれる神様御自身の御声を聞くことが出来るので、「世界の国民の中で一体誰が、生ける神の御声を聞いたことがあるだろうか」と証しします。(4:32~34 参照)

古代のイスラエルを取り囲んでいた国々は、木や金銀で作られた偶像でしかない、他の神々で溢れていました。これらの神々は、語ることも、聞くこと も、見ることも出来ず、それらを礼拝する人々を愛することも、導くことも、守ることも出来ませんでした。これらの国々はイスラエルを見ることで、彼らがい かに神様によって厳しい荒野を導き出された、特別な民であるかを見ることが出来たはずです。また、御自分の民に語りかけ、愛し、感情を持ち、祈りに答え、 奇跡を起こされた神を見ることが出来たはずです。ここに、御自分の民の詳細に至るまですべてを導かれた、生ける神を見ることが出来ます。

神様は、御手によって訓練される民を起こされました。神様の主権に従い、その人生のすべてを完全に委ね切る民が必要だったのです。その様な民こそ、 世界に神様を証しする民とされるのです。

なぜ神様は、民が完全にすべてを委ね切り、いつも神様に信頼をおくことを望まれるのでしょうか。それは、神様だけが目的地にたどり着く方法を御存知 で、そのために必要な、不可能を可能とする力をお持ちだからです。