2010年3月5日金曜日

霊によって行きなさい

あなたは霊によって、世界中のどこにでも行くことが出来ます。ひざまずき祈る時、福音を聞いたことのない人達に触れることが出来ます。事実、あなた の隠れた部屋が、ある国家における御霊の働きの本部となることがあります。

アブラハムがその良い例です。彼は神様を信じない、不道徳なソドムのために祈りました。主は彼に、こう答えられました、「もしソドムの町に正しい者 が50人いるならば、その者たちのために、町全部を赦そう。」(創世記18:26)

これを聞いた時、アブラハムは主と交渉を始めました。彼は、「もしかすると、50人に5人足りないかもしれません。それでもあなたは、5人足りない ために、町のすべてを滅ぼされますか。」(18:28)アブラハムは、「主よ、もしその50人の信仰者の内、45人が正しい人だったらどうされますか。も し求道者がそれだけだったら、どうされますか。それとも、たった10人だけが、あなたを求める正しい人だとしたら、どうされますか。もしあなたを呼び求め る人が、たった10人だとしたら、あなたは町を滅ぼさないでいて下さいますか。」とお願いしたのです。神様はアブラハムに答えられました、「その10人の ためにわたしは滅ぼさない。」(18:32)

この聖句は、主について私たちにあることを教えてくれています。主は、もし幾人かの正しい人がいるならば、その社会を丸ごとお救い下さるおつもりで ある、ということです。これは、自分の国のために執り成す、主の御顔を求める人達のことを語っています。

このことについて、神様はアブラハムに約束されたより、さらにその上を成されます。エゼキエル書22章で、神様は隔たりに立つ、祈りにあるたった一 人の信者について語っておられます。「この地を滅ぼすことがないように、わたしは、わが前に石垣を築き、石垣の破れ口に立つ者を彼らの中から探し求めた が、見いだすことができなかった。」(エゼキエル書22:30)

エゼキエルが預言していた時代、イスラエルは霊的に堕落していました。預言者たちは神様を冒涜し、ありとあらゆる神様の律法を破っていました。そし て民は抑圧され、様々なことに腹を立て、色情に溢れ、お互いに略奪し合っていました。彼らの中で、誰一人として主に叫ぶ者はいませんでした。隔たりに立 ち、執り成す者は、誰もいなかったのです。しかし神様は、たった一人の執り成し手のために、国のすべてを救われるおつもりでした。

もし肉体的にある国に行くことが出来なくても、執り成し手の一部となることが出来ます。私たちは、国々に遣わされるために献身した人達を援助する 様、召されているのです。パウロが宣教旅行について書き綴った時、彼のアシスタントとしてテモテやテトスの名を挙げただけではなく、彼を助けてくれたリ ディアを始めとする、その他の女性をも紹介しました。彼女達は皆、福音によって国々に触れる助けをした、敬虔な主の僕たちだったのです。