2009年12月10日木曜日

約束の地

私は詩編46編が、新約聖書での“約束の地”を表現していると信じます。実際、詩編46編はヘブル人への手紙で語られている神様の憩いを表しています。 「それで、安息日の休みが神の民に残されているのです。」(ヘブル人への手紙4:9)この詩編はここに記されている休みを、神の民に説明しているのです。 それは神様の常にある強さ、困難な時にある助け、混乱する時にある平安について語っています。神様の臨在は私たちといつも共にあり、神様の助けはいつも時 宜に適っています。

イスラエルはこの憩いを拒否しました。「彼らは愛すべき地を拒み、御言葉を信じなかった。」(詩編106:24)残念 ながら、今日の教会もイスラエルと同じようなものです。神様の素晴らしい約束―神様の平安、助け、完全なる備えの約束―があるにも関わらず、神様を完全に 信頼し切っていません。その代わりに、私たちは不満を述べます。「私が苦しんでいる時に、神様はどこにおられるのか。私と共にいて下さるのか、それともい らっしゃらないのか。神様の臨在の証拠は一体どこにあるのか。なぜ神様は、私の上にこの様な苦難が積み重なるのをお許しになっておられるのか。」と。

今 日私は、主が教会にこう尋ねておられるのを聞きます。「わたしが今もわたしの民に話しかけているのを信じますか。わたしがあなたがたに、わたしの助けと導 きを授けることを望んでいると信じますか。わたしが毎日、毎時間、一瞬毎にあなたがたに語り掛けたいと望んでいると、本当に信じますか。」私たちの応答 は、ダビデの応答と同じ様なものであるべきです。この神の人が主に関する次の声明を述べた時、彼は地獄を揺れ動かしました。「主が仰せになると、そのよう に成り、主が命じられると、そのように立つ。」(詩編33:9)

ここに、神様が私たちに語りかけることを望んでおられるという御言葉を信 じる、すべての時代の人々に対する神様の約束があります。「主の企てはとこしえに立ち、御心の計らいは代々に続く。」(詩編33:11)全宇宙を創造され た主は、その御心の一つひとつを、私たちと分かち合いたいと望んでおられるのです!

聖書はこれを明確化してくれます。私たちの神様は、過 去において神の民に語られ、現在の神の民にも語りかけておられ、そして終わりの日まで、私たちに語り続けて下さるのです。さらに言うなれば、神様はあなた に、今日、あなたの抱える問題について、お語りになりたいと望んでおられるのです。神様は御言葉を通して、信仰の厚い友人を通して、または小さく静かな声 で「これがあなたの行くべき道です。この道を歩みなさい。」とささやかれる御霊の声を通して、語られるかもしれません。

神様がどの様な方法を用いられるとしても、あなたは神様の御声に気付くでしょう。羊は羊飼いの声を知っているからです。そして神様は必ず「慈しみに生きる人の魂を主は守り、神に逆らう者の手から助け出してくださる」のです。(詩編97:10)