2010年8月13日金曜日

金よりも尊い

エステル妃のお話は、聖書の中でも、最も厳しい霊的戦いを記したものの一つです。悪魔はハマンを用いて、地上での神様のご計画を阻止しようと企みま した。この裕福で影響力を持った男は、ペルシアの王を説得し、インドからエチオピアをまたぐその王国内のユダヤ人を、一人残らず抹消する様、命令を下した のです。

ハマンが最初に見たユダヤ人は、義なる人であったエステルの叔父、モルデカイでした。ハマンはモルデカイのために、特別な絞首台を用意していました が、その計画はエステルによって阻止されました。それは彼女が、神の民に祈りを要請し、ハマンの命令を撤回させるために、自分自身の命を投げ出したからで す。神様は、ハマンが企んでいた悪しき計画を明るみに出されたので、ハマンは自分が立てた絞首台に吊るされました。王はただ死の命令を撤回しただけでな く、今日で言えば何十億ドルもするハマンの家を、エステルに譲り渡しました。

しかしこのお話での戦利品は、ハマンの家だけではありませんでした。聖書は「それはユダヤ人にとって輝かしく、祝うべきこと、喜ばしく、誉れあることであった」と記しています。(エステル記8:16)これらは、敵との戦いにおいて勝ち取った、真の戦利品です。

私達の試練は、霊的な富を与えてくれるだけではなく、私達に強さや純粋さを与え、継続的に維持してくれます。私達が主に信頼を置くなら、主は私達の 試練が、金よりも価値のある信仰を生み出す様にしてくださいます。「あなたがたの信仰は、その試練によって本物と証明され、火で精錬されながらも朽ちるほ かない金よりはるかに尊くて、イエス・キリストが現れるときには、賞賛と光栄と誉れとをもたらすのです。」(第一ペテロの手紙1:7)

「そして、もろもろの支配と権威の武装を解除し、キリストの勝利の列に従えて、公然とさらしものになさいました。」(コロサイ人への手紙2:15)

イエス様はカルバリによって悪魔に打ち勝ち、そのすべての支配と権威を奪い取られました。キリストが勝利の内に墓から復活された時、主は数え切れない捕虜を、サタンの手から解放しました。そして主の血潮によって購われた行列は、今も行進を続けているのです。

驚くべきことに、カルバリでのキリストの勝利は、死に打ち勝つことよりもさらに素晴らしいものを与えて下さいました。それはこの人生においての戦利 品、すなわち、恵み、憐れみ、平和、赦し、力、信仰、等勝利にある人生を歩むために必要なものすべてです。主は御自身の宮を維持するため、必要のすべてを 備えてくださっています。「キリストは御子として神の家を忠実に治められるのです。もし確信と希望に満ちた誇りとを持ち続けるならば、わたしたちこそ神の 家なのです。」(ヘブル人への手紙3:6)
聖霊はここで、驚くべき真実を解き明かしてくださっています。それは、イエス様が御霊の内に、私達のす べての必要を与えてくださっている、ということです。しかし主の宮の維持するために、その宝庫を訪れるのは、私達の役目であり、主の宮を維持するために必 要なものはすべて、直接私達の戦利品からくるべきなのです。

維持のために必要なものは、キリストがすべて与えてくださっています。主は私達を神様の住まいに導き入れてくださいました。主がその家の礎となり、 その家全体を完全に清められたのです。最後に、主は私達に至聖所へのアクセスを与えてくださいました。すなわち信仰によって、私達は完全に整えられ、宮と して完成させられるのです。イエス様は、未完成の家を建てられたのではありません。主の宮は完成しているのです。

この宮は、きちんと維持されていなければなりません。常に修理が行き届いていなければなりません。もちろん、必要なものはすべて、キリスト御自身の 御霊の内に与えられています。キリストこそ、すべての戦利品の出納官なのです。これらの戦利品は、私達がその必要を感じ、神様と恊働する時に解放されま す。

神様との恊働は、私達が試練のただ中にいる時に始まります。試練の真っただ中で、私達が勝ち得るのは、キリストらしさです。敵との戦いから、教訓、 信仰、練達を戦利品として勝ち取ります。戦いには価値があります。ですから、これらの戦いから良きものが生まれると、確信出来るのです。