2008年5月30日金曜日

証人の群れ

ヘブル書121に、世界はキリストと共に栄光にある証人の群れに取り囲まれていると記されています。この天にいる大勢の証人たちが、今日の世界に語ろうとしているのは、一体どんなことでしょうか。私たちはノアの時代よりも、はるかに邪悪な世界に住んでいます。天の証人たちは、ソドムの罪よりもさらに重い罪を犯し続けている今の人類に、何を言おうとしているのでしょう。

私たちは歴史的にも最も繁栄した時代の一つに生きています。経済は祝福されていますが、社会は非常に不道徳で、暴力的で、神に敵対するものとなってしまい、世俗主義者までもがここまで堕ちてしまったことを嘆いているくらいです。世界中のクリスチャンは、この様な邪悪な社会になぜ神様が裁きをもたらすのを遅らせておられるのか、不思議に思っています。

キリストを愛する私たちは、なぜこの様なおぞましい悪がはびこり続けるのが許されているのか、理解出来ないかも知れません。しかし、天にある証人の群れは理解しています。彼らは神様が示された憐れみと忍耐の深さを疑ったりしないからです。

使徒パウロはその証人の群れの一人で、「罪人の中の罪人」をさえ救われた、神様の絶大な愛を証言しています。パウロの人生と様々の文献は、彼がかつてキリストの御名を冒涜したことを示しています。彼は神の民を狩り出しては、牢屋に入れたり殺したりするテロリストでした。パウロはこう言うでしょう、神様がこの世界に対して忍耐を示されるのは、かつての彼の様に、何も知らずに罪を犯す人がたくさんいるからだと。

使徒ペテロもまた証人の群れの一人で、彼もなぜ神様がこれほどに我慢強いかよく理解しています。ペテロの人生と様々の文献は、彼がイエス様を冒涜し、全く知らないと誓ったことを記録しています。神様が裁きを下すのを抑えられておられるのは、かつてのペテロのように神様を冒涜したり否定したりする人がまだたくさんいるからです。主がペテロを決して見放されなかった様に、主は彼らを決して見放されたりしません。イエス様がペテロのために祈られたように、まだ祈り続けておられる人がたくさんいるのです。

私がこの証人の群れに思いをはせる時、以前薬物やアルコール依存症だった人達、売春婦や同性愛者だった人達、ギャングメンバーや麻薬密売人だった人達、殺人やDVを行っていた人達、不倫やポルノに明け暮れていた人達の顔が浮かんできます。彼らは社会から見捨てられていた人達です。彼らは皆、悔い改めてイエス様の腕の中で自分に死に、今では憐れみと忍耐と愛に溢れるお父様の証し者となっています。

私は彼らの全員が一丸となってこう証しすると信じます。イエス様は彼らがイエス様の憐れみを受け取る前に裁かれることはないと。神様はまだこの不道徳で狂ったこの世界を愛して下さっています。どうか主が、主が愛されるのと同じ位、私たちも失われた魂を愛することが出来るよう助けて下さいますように。そして主が世界に今示されている忍耐と愛を持てる様、祈ることが出来ます様に。