2010年12月29日水曜日

祈りの時を保つこと

霊の枯渇を克服するためには祈りの時を保たなければなりません。私達は祈らなければならないのですが、そのようにはしていません。私達が神様との交わりがあるときには私達の重荷は取り去られることを知っています。聖霊は私達に呼びかけます。「来なさい。」と。

魂の渇きを満たす水に来なさい。その子らを哀れむ父に来なさい。全て罪を許し給う命の主に来なさい。あなたを呪う事も、捨てる事も、隠れる事も否む唯一の方に来なさい。

私達は罪悪感や自責で神から隠れようとしますが、紙は決して私達からお隠れになりません。罪を犯したり、路に逸れたりしても、神の恵みの御座に大胆 に進み出よう。神の恵みに戻ろうと努力したり、自責と反省の時間を何時間、何日間持ったりする必要はありません。御父に進み出て、膝を屈め、心を開き、あ なたの苦悩、苦痛を訴えてください。神にあなたの孤独、拒絶、躓きを話してください。

私達はいろんなことを試みますが、祈りません。解決する術を、方法を見つけようと本を読みます。慰めや助言を得ようと友人、牧師、カウンセラーなどいろんな人に行きます。私達は私達の声を探しますが、全てに答を持っておられる声を忘れます。

神様だけと交わるときに勝る、渇きや虚しさを退けるものはありません。隠れた場所で御父に祈ることに代わるものはありません。全ての渇きが解決します。

わたしは、かわいた地に水を注ぎ、干からびた地に流れをそそぎ、わが霊をあなたの子らにそそぎ、わが恵みをあなたの子孫に与えるからである(イザヤ44:3)