2010年10月21日木曜日

愛の鞭

神はあなたを愛しているので、あなたの人生を立ち直らせて下さいます。悔い改め神に立ち返る人には愛の鞭が与えられます。あなたの過去や現在の罪の 為に、神の矢が魂に刺さる痛みを感じるかもしれません。しかし、もしあなたが悔い改めの心を持ち、間違いから直りたいと思うなら、それは愛の鞭と言えるの ではないでしょうか。間違いは正されますが、神の愛と慈しみによる正され方があるのです。あなたは信じないもののように怒りの鉄拳を感じるのではなく、神 の慈しみ深い御手による薫陶を受けるのです。

 もしかしたら、あなたは過去の間違いによって苦しんでいるかもしれません。沢山の女性たちが、神様がその人ではないと戒めたにもかかわらず結婚し て苦しんでいます。若者たちは道を誤り、親の心を痛めています。こんなことが繰り返し行われるのは、罪や妥協の根があったからです。

 そしてあなたがどん底に落ちたと知る時、砕かれ、悔い、信仰によって主を求める時、そして聖霊の力の新たな注ぎを受ける時です。それはあなたの内から霊的力が溢れ、リフレッシュされる時です。

 あなたが神を叫ぶ時、神はあなたに力を注ぎます。「私が呼んだその日に、あなたは私に答え、私の魂に力を与えて強くされました。。。。。たといわ たしが悩みの中を歩いても、あなたはわたしを生かしてくださいます。私の敵の怒りに向かって御手を伸ばし、あなたの右の手が私を救ってくださいます。主は 私にかかわるすべてのことを成し遂げてくださいます。主よ、あなたの恵みはとこしえにあります。あなたの御手のわざを捨てないでください。」(詩篇 138:3 7-8)

 クリスチャンにとって最も受け入れ難いことは正しい人が苦しむ事です。キリストがこの世に来られるまで、ユダヤ人は信仰深い事と健康や成功を関連 付けていました。彼らはあなたが裕福であり、健康である事は、神があなたのよい行いに満足しているから祝福されると信じていました。ですから、イエス様が 弟子達に「富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい。」といった時、弟子たちは「では、だれが救われることができ るのだろう?」(マタイ19:24-25) と反応をしたのです。

 同じように、今、世間で苦しみを受けない契約を神と結んでいて、必要な時に神を呼べば、全てが解決すると言っている間違った神学があります。しか しこれは福音とは言えません。ヘブル11章の信仰の偉人たちは神と共に歩みましたが、彼らは石打され、罵られ、拷問され、殺されました。(ヘブル 11:36-38)パウロ自身も神と共に歩みましたが、難破し、石打され、鞭打たれ、捨てられ、監獄に入れられ、迫害されました。彼は全てをなくす苦しみ を受けました。何故でしょうか。これらは全て、神の栄光に対する信仰が試され、清められる為に必要なものだったからです。

 神様は試みを通して私達の心に何かを植えつけようとされています。神は私たちがこう告白するのを望んでいます。「主イエス様、あなたは私を守り、 全てを司る事を信じます。何かが私に起きるのはあなたが許されていて、その御旨を信じます。あなたが私に知らしめ、受けさせようとする教えを解るように助 けて下さい。もし、私が義に立ち、心に神の喜びがあり、私の生きるも死ぬも神に栄光を帰すでしょう。あなたは、私の有限な心では理解できない神の御旨と備 えられている栄光があると信じます。私は、私が生きるも死ぬも、私はあなたのものと告白します。」