2009年5月28日木曜日

キリストは御座に居られる。

しばしば人々は私にこう書きます。「私は話せる人が、私の重荷を分かち合う人がいません。誰も私の叫びを聞く時間を持ちません。私は自分の心を注ぎだす誰かが必要です」。

ダビデ王は多くの人に囲まれていました。彼は結婚をしており、大家族がいて、彼の傍には何人もの腹心がいました。しかし、私達は同じ叫びをダビデから聞きます。「誰に行けばいいのだろうか」。私達は、人の性として他の人が顔と顔を合わせ、実際見聞きして、アドバイスをして欲しいと思っています。

ヨブが試みに押し潰されようとした時、嘆きの内に叫びます。「ああ、わたしに聞いてくれる者があればよいのだが」(ヨブ31:35) 彼の友と言われる人の前でそう叫びました。しかし、その友はヨブの問題を思いやる事は出来ませんでした。返って、彼等が切望の伝令となりました。

悲痛の内、ヨブは主に向きました。「見よ、今でもわたしの証人は天にある。わたしのために保証してくれる者は高い所にある。わたしの友はわたしをあざける、/しかしわたしの目は神に向かって涙を注ぐ」。(ヨブ16:19-20) 詩篇でダビデは神の民に同じようにすることを勧めています。「民よ、いかなる時にも神に信頼せよ。そのみ前にあなたがたの心を注ぎ出せ。神はわれらの避け所である」。(詩篇62:8) また、ダビデは詩篇142編にも書いています。

「わたしは声を出して主に呼ばわり、声を出して主に願い求めます。わたしはみ前にわが嘆きを注ぎ出し、み前にわが悩みをあらわします。わが霊のうちに消えうせようとする時も、あなたは道を記されます。彼らはわたしを捕えようと行く道にわなを隠しました。わたしは右の方に目を注いで見回したが、わたしに心をとめる者はひとりもありません。わたしには避け所がなく、かえりみる人もありません。主よ、わたしはあなたに呼ばわります。あなたはわが避け所、生ける者の地でわたしの受くべき分です。」(142:1-5) 

私はこの文があなたの魂をしばしば主に注ぎだせる密かな場所を見出せるべく聖霊さまが招くものであることと信じます。ダビデは嘆きを注ぎだしました。同じようにあなたもそうすることが出来ます。あなたはイエス様に何でも、あなたの問題や現在の試み、あなたの金銭状況、あなたの健康ことなど話すことができ、それにどれだけ振り回されているか、あなたがどれだけ落ち込んでいるかも話す事ができます。慈しみと愛をもって、イエス様はそれを聞くでしょう。

神様はダビデに答えました。神様はヨブに答えました。古から神は御自身の約束を信頼する全ての人の心の叫びに答えて来ました。同じように神はあなたに耳を傾け、導くと約束しています。真に神はあなたの力になるべく誓われてもいるのです。神に行きなさい。そしてあなたは新たにされます。