2009年5月27日水曜日

神はどんなときでも忠実であられる

私と妻グエンは最近忍びに耐えられなくなった女性と話しました。彼女の家族はとても苦しんでいました。彼女は毎日その家に漂う苦しみの暗雲に起ききしていました。彼女は主に絶えなく祈り呼ばわって助けを求め、彼女の友人達も彼女を取成しました。

しかし、何ヶ月が過ぎても物事は変わりません。希望の光の兆しが見えたと思えば、物事が前戻るどころか、益々悪くなっていきました。彼女は自分の信仰を啓蒙するべくメッセージを聞いたり、何か読んだりして、自分を保とうとしました。しかし、今や彼女は疲れ果てています。彼女は涙を流していました。眠れない夜が続いています。彼女は引き継ぐ苦しみや痛みが何故それだけあるかを聞く気力もありません。彼女は今ただ嘆きの暗いトンネルの果てに幽かな光を見出す事をただ望むだけでした。

彼女は言いました。「私は全て諦めてしまいたい。私は神様がせよとするものは全てしました。私は神様を信じ、求め、教会で信仰生活をし、御言葉を読みました。私は孤独で助けも無く、落ち込んでいます。私にはもう気力がありません。いつも私の全て従う努力に関わらず物事は悪くなるだけと言う考えに苛悩まされています。今、私には苦しみの終りはないので、こんな気持を感じる権利があるという考えと戦っています。」

私達は彼女とその家族の為に熱心に祈りました。彼女は戦いの中で弱くならないで、主が彼女を助け、励ますと信じます。しかし、彼女が絶望の中で仰ったことが私の魂の奥底の何かに触れました。沢山の神の人達は希望の無い所に行き着いて、悲しみの内に叫びます。「私にこの戦いを辞める権利がある。起こる権利、神に問い掛ける権利がある。何故神は私の叫びに答えられないだろうか。主は私を見過ごしたのだろうか」。

ヨブは絶望の中、叫びます。「四方からわたしを取りこわして、うせさせ、/わたしの望みを木のように抜き去り、わたしに向かって怒りを燃やし、/わたしを敵のひとりのように思われた。」(ヨブ記19:10-11) ヨブはそしてこう加えます。「彼はわたしの道にかきをめぐらして、/越えることのできないようにし、/わたしの行く道に暗やみを置かれた。」(19:8

どこか聞き覚えのある話ではありませんか。これがあなたの戦いですか。これがあなたの知っている人の話ですか。愛する皆さん、神は慈しみ深い方です。神はあなたの試みの中、あなたを見捨てたりしません。神はあなたが落ち込んで、傷付いていると表したからとてそれを責めたりしません。ヨブは彼の試みの時を経て希望の場所へ導かれました。あなたもそうなるでしょう。

「見よ、わたしが進んでも、彼を見ない。退いても、彼を認めることができない。左の方に尋ねても、会うことができない。右の方に向かっても、見ることができない。しかし彼はわたしの歩む道を知っておられる。彼がわたしを試みられるとき、/わたしは金のように出て来るであろう」。(ヨブ記23:8-10)