2009年5月7日木曜日

神の深い慈しみと愛を感謝します。

聖霊様は私に神が戸を開く、または閉めることについて書くように導きました。誰かがそんな状況を体験しているから、自分のことかと思うでしょう。あなたの目の前に、その戸は閉まり続けているように見えます。それは若しかしてあなたの真剣なお金の問題かもしれません。あなたは何かの機会が開くように祈りましたが、全てが失敗し、その戸が開かれません。

あなたの閉められた戸が何か知れません。しかし、その当事者にとっては天の窓、戸がどちらとも閉められて、天は真鍮のようであなたの声は届かないように見えます。この閉ざされた戸は何かの問題、状況、あなたが祈るべき何かを意味します。それは若しかして奇跡以外には解決できない危機かも知れません。そして、あなたは未だに熱心な祈り、願いが叶えられていません。

黙示録では、キリストは御自身を「、開けばだれにも閉じられることがなく、閉じればだれにも開かれることのない」 と表しています。これは古代都市フィラデルフィアの信徒達に宛てたものですが、その教会は主の御言葉を忍び耐える、その御名を否まないことを褒められています。この人達は苦しみの時に神の御言葉に忠実であった人たちです。彼等は主が彼等を捨てたとか、耳を閉ざしているとは言いませんでした。

それで、サタンは偽りで彼等を攻撃しました。暗闇の力と権威、偽りの霊が闇から囁き神が戸を閉ざしているのに、神を礼拝する必要など、信仰を持つ必要などあるのか言います。しかし、その人達は微力でありながら、信仰を持ち続け、神が鍵を開くのを、忍耐を持ち続けました。全て閉ざされた戸を開く鍵を持ち、彼のみが私達の前に戸を開く方です。 

 主が彼らに約束した、(私たちの約束でもある)事がここに記されています。


「忍耐についてのわたしの言葉をあなたが守ったから、わたしも、地上に住む者たちをためすために、全世界に臨もうとしている試錬の時に、あなたを防ぎ守ろう。」(黙示録3:10)


試みの時が今私達に迫っています。信仰が激しく、火のように試される時が迫りつつあります。沢山の人達はその激しさの故に落ちていくでしょ。 

しかし、あなたは神の約束を信じ、その約束が成就するのを見なくても、神にあって死ぬ覚悟をしている人達です。あなたはこの世の誘惑を打ち勝つような人たちです。神は私の声を、叫びを聞き、時に相応しく戸の開け閉めをなさいます。ですから決して諦めたりしてはいけません。決して、決して疑わないで下さい。約束に立ってください。主は決して裏切ることはありません。