2009年5月4日月曜日

私達は私達の主イエスキリストの名を掲げる

キリストに触れられることが必要な 人がいます。主がこの世に居られた時、主は病ある人達を触れ彼等を癒しました。ペテロの姑に触れたとき、「熱が去った」と記しています。死んだ子供の棺に触れたとき、子供は甦りました。盲の目に触れたとき、見えるようになりました。耳しいの耳に触れたとき、その人は聞こえるようになりました。親達はイエス様に手を子供達に置いて貰おうと、イエス様のもとに子供を連れてきました。主の慈しみ深い手が全てを変えました。沢山の人達が病んでいる人達を御許に連れてきて、イエス様はその人達に応え、彼等を癒しました。

もし、あなたが主を深く知っているならば、あなたは主があなたに触れる御手を知っているでしょう。あなたが孤独であった時、失意の時、混乱している時、傷つけられ不安な時、あなたは魂の底から叫びます。「主イエス様、来てください。あなたの臨在が必要です。イエス様、来て、私の渇いている魂に触れてください。」

心にイエス様の御手が必要な人がいます。サタンはその権を持つ悪しき者と謀り、邪悪な考え―不信仰である、キリストに相応しくない、恐れ、自己嫌悪、神の怒りなどで心に満たそうとします。本当の信仰者ならばそのような体験があるでしょう。サタンは私達の信仰を、主への信頼がない者としようとします。

聖書には、イエス様の御手は叫びの答えとして与えられています。イエス様は叫びに決して耳を背けたりしません。あなたの叫びを聞き、あなたの必要に答えて下さいます。マタイの8章に『癩病人がイエス様に来て言いました。「主よ、みこころでしたら、きよめていただけるのですが」。イエスは手を伸ばして、彼にさわり、「そうしてあげよう、きよくなれ」と言われた。すると、らい病は直ちにきよめられた』。 と記されています。

今日でもイエス様と一人になる場所を見つけ、癩病人が言ったように主に言って下さい。「御心ならば清めて下さい」。人を偏り見ない主があなたの心、体、魂、霊に触れ癒されるのを期待して下さい。主の御手があなたに伸ばされていますが、主はあなたが切実に、本気でそれを叫び求める、助け求める、期待して求めることを待っておられます。

「ところがエジプトびとはわれわれをしえたげ、また悩まして、つらい労役を負わせましたが、われわれが先祖たちの神、主に叫んだので、主はわれわれの声を聞き、われわれの悩みと、骨折りと、しえたげとを顧み、主は強い手と、伸べた腕と、大いなる恐るべき事と、しるしと、不思議とをもって、われわれをエジプトから導き出し、われわれをこの所へ連れてきて、乳と蜜の流れるこの地をわれわれに賜わりました。」(申命記26:6-26:9)