2008年5月9日金曜日

動かされずにしっかりと立つ

イザヤ書49章には、神様があなたの闘いをご存知だということが語られています。神様があなたより先に闘って下さっています。無駄骨を折ってしまったと思ったり、期待通りいかずに失敗してしまったと落胆したりすることは、罪ではありません。イエス様ご自身もこれらのことを経験されましたが、彼は罪を犯しませんでした。

しかし、この様な不快な偽りごとに、あなたの魂をただれさせたり、怒りの炎を点けさせたりするのを許すことは非常に危険です。イエス様は、次のように語って、そのような落胆からどうやって抜け出せばよいのかを示して下さいました。「わたしは思った。わたしはいたずらに骨折り、うつろに、空しく、力を使い果たした、と。しかし、わたしを裁いてくださるのは主であり、働きに報いてくださるのもわたしの神である。」(イザヤ書 49:4)ここで用いられている「裁く」という言葉は、ヘブル語で「評決を出す」という意味です。キリストが言わんとしていることはこうです。「最後に評決を出すのは、わたしの父である。彼だけがわたしのしてきたこと全てに対して、それらがどれ程役に立ったか、判断して下さる。」

神様はこの御言葉を通して、私たちを駆り立てています。「自分のしたことに判断を下そうとするのは、止めなさい。あなたがどれだけ役に立ったかを定めるのは、あなたの仕事ではない。それに、自分自身を失格者と呼ぶ権利だってない。あなたは自分が、一体どれ程の影響を周囲にもたらすことが出来たか知らないのだから。あなたに向かって押し寄せてくる祝福を見ることが出来ないだけなのだ。」確かに、私たちは多くの事柄について、永遠の時の中で神様の御前に立つまで、何も分かっていません。

イザヤ書49章で、イエス様は天のお父様が言葉を変え、様々な方法でこう語られるのを聞かれました。「イスラエルはまだ集められていない。そう、わたしは全ての部族を呼び戻すために、あなたを呼び出したのだ。そしてそれはあなたが想像する方法とは全く違う。しかし、召し自体は、あなたがこれから受け取ろうとしているものに比べれば、ほんの小さなことにしか過ぎない。わたしがあなたのために備えていることと比べれば、何てこともない。わたしはあなたを、国々の光とする。あなたが全世界に救いをもたらすのだ。」(イザヤ書49:5~6参照)

あなたがやってきたことすべてが無駄だったと、またあなたの期待することは絶対に叶うことがないなどと、悪魔があなたに偽りを語る時、栄光に満ちた神様は、それよりも遥かに大きな祝福をご準備下さっています。神様は、あなたが願うものよりも、想像するものよりも、さらに良きものを備えられています。

だから、もう悪魔のささやく偽りに耳を傾けるのはやめましょう。その代わり、私たちは聖霊にあって平安を得、さらにキリストに似る者とされる働きが全うされることを信じましょう。そして私たちは、絶望の淵から這い上がり、この言葉に立つべきです。「動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの労苦が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです。」(第1コリント15:58)