信仰は神に委ね、自分を全く捨てることから始まりますが、それは能動的なもので受動的のものではありません。
私たちは神が不可能なことをされる力があり、またそうされることを信じなければなりません。イエス様は仰いました。「人にはそれはできないが、神にはなんでもできない事はない」(マタイ19:26) 「神には、なんでもできないことはありません」」(ルカ1:37)言い代えれば信仰において「神以外には何も要らないのです。」
主は彼を不可能な状況で導き、信仰の人とならしめました。主はその僕が、「父よ、あなたが導き給うは良きことです。ですから私は黙してあなたが不可能をなさることを信じます。私はあなたの御手に私の命を委ね、あなたが私や家族を決して飢えさせないことを信じます。そして、あなたが私にあなたの子について約束したことを信じ、私が守られることを信じます。」と言うのを聞かんとしています。
私たちの信仰は決して困難な状況を脱し、苦しい環境を変えることを必ずしも意味しません。それより、窮状の中で神が忠実なのを現すことなのです。神は時には私たちの状況を変える事もありますが、状況が変わらない事もしばしばです。神様は私達を変えていきたいからです。