最近私は、信仰にあって1830年代2000人の孤児を受け入れ養った、ジョージミュラーの物語をもう一度読みました。ミュラーは祈りに答えを得る人と知られていました。彼が死ぬ前に、彼は彼の日記に祈りに如何に答えられたが50,000の答を記しました。
ある物事に神の御旨をどのように分かるかと聞かれると、ミュラーは次のことが必要だとし並べました。
1. 私の心の状態が自分の意図がその物事に全くないこと。
2. 印象や感情に結果を委ねない。印象や感情は幻想を齎すことがあります。
3. 御言葉によって、また御言葉にあって神の御旨を求める。御言葉なしで御霊の指示を求めるのなら、あなたは幻に惑わされます。
4. 神が与えた(神の治め給う)情況に注意します。
5. 神に祈りの中で御旨を示すように求めます。
6. 神と人の前で良心に呵責がない事。
7. 神に聞かないで、人に聞くならそれは大きな間違いです。
8. 神にあって待ち望み、祈り尽くし、平安を持つならば、行動する。
信仰に歩み、完全な神の御旨を求める者達はしばしば試みられ、ためされます。私の歩みの中でも、益々熱心な祈りと御言葉を読む事が重要に成ってきています。悲しい事にこの頃は神の民に祈る人が多くいません。代わりにテレビを見てしまい、神を待つことがあまりありません。
私が祈りに私を委ねるなら、私の信仰が建てあげられます。神の言葉に養われたら、私を導く、助ける、神の力に対する私の信頼が増します。主は私の銀行、助言者、私の弁護士となるのです。
あなたにも同じようになさる神を見出せますように。